三隣亡 さんりんぼう

庄内地方の迷信としての「さんりんぼう」と「さんりんぼう」の正しい利用方法についての提案。

2007年の亥(い)年は「迷信としてのさんりんぼう」にあたります。

その前年に当たる2006年に家を建てた事とする「仮柱」を立てる風習が一部にありますが、私共は現在の暦に記載されております「一日限りのさんりんぼう」に理解を示し、「一年中のさんりんぼう」を根絶し、仮柱建立の風習をなくして、その経費を消費者に還元致そうと思っている所でございます。

庄内地方の建築着工にかなりの影響を及ぼし、特に山間部の集落に多くのお得意様を持つ大工さん達には大きな痛手となっている「さんりんぼう」は、近年では2002年午(うま)年もこれにあたり、次にくるのは2007年亥(い)年であり、そのまた次は2010年寅(とら)年とされています。

つまり、寅年・午年・亥年の順で配列されており、それらは亥年から寅年間では三年、寅年から午年までは四年、午年から再び亥年までは五年といったように三・四・五年後ごとに繰り返されてまいりました。

庄内型の「さんりんぼう」は「一年中のさんりんぼう」として伝えられているものであり、現在の暦に記されておるものは「一日のさんりんぼう」であります。

一年間を通してのさんりんぼうはあらゆる暦に存在・記載されておらず、一部の人々に誤って伝えられているのであり、昔はそれらを生活の糧としていた方もおられたようですが、現在ではおりません。

明治当初「さんりんぼう」は「三輪宝」と記載され「家建てよし」の吉日でした。

後に「三隣亡」と記載され誤った暦が出回ったことから家作り大凶日へ転落してしまいました。

それでも暦注に「家作り吉」とあれば「差し障りなし」とされていました。

このような過程をみても如何にこの「さんりんぼう」が根拠のないことであるかが証明され、「迷信」である事を主張するものであります。

鶴岡設計監理協会では1998年7月28日、長年に亘り「さんりんぼう」に関しての資料収集と研究を重ねておられます西田川郡温海町大岩川在住の佐藤光民氏を講師に招き「さんりんぼう」を考えるフォーラムを催しました。

佐藤光民氏は神職で、且つ長らく山形県のさんりんぼうについて調査し、論文を発表されております。

このフォーラムには約40名ほど参加し、「迷信」としてのさんりんぼうについて意見質問など討論し合い、事実を確認して参りました。

その結果「さんりんぼう」すべてを否定するものではなく、今日の暦通りに「一日限りのさんりんぼう」としてこれらをうまく利用した方が良いのではないかと思われます。

三隣亡って書くらしい。

三隣亡は、建築作業をしてはいけない日で、この日に工事をしたら、その家だけでなく、両隣の三軒まで火事で燃えてしまう、ということらしい。

しかし昔の暦は「三輪宝」と書き、良い意味で、それがどこかで誤りが生じて、「よし」が「あし」に、そして漢字も三輪宝から三隣亡に変化。

あるサイトより、

十二支の活動が凶変するとされる凶日のことで,この日に建築,とくに普請始め,柱立て,棟上げなどをすると,後日,災禍がおこったときに,隣り近所をも滅ぼすとされている。

そのときの火災が,三軒隣にまで及ぶとされることから,三隣亡の名称がついている。

種蒔きにも凶日で,稲掛けを建てても倒れ,約束事も破れる日だとされる。

三隣亡の日は,旧暦の1月,4月,7月,10月は亥の日,2月,5月,8月,11月は寅の日,3月,6月,9月,12月,は午の日である。

元来は陰陽道の禁忌思想に端を発した忌日だが,室町時代末期の暦注に初出し,江戸時代にはさほど強い禁忌はなかった。

明治以後,都市民のあいだで広まり,祈祷師や易者などにより,その知識が普及した。

おそらくは,都市民の火災に対する恐怖や不安の心理がその傾向を助長したものと思われる。

今でも土木建築の関係者のあいだでは,この禁忌を気にする者が多く,三隣亡の日に建築を始めることは稀である。

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