左官壁を風雨から守るために設けられたりする。
伊勢地方では「外囲い」「刻み囲い」とも呼ばれる。
伊勢以外では、地方に応じて「鎧下見」「イギリス下見」「押縁(おしぶち)下見板貼り」あるいは単に「下見板貼り」などと呼ばれる。
横板を上から押さえている角材が押縁で、伊勢地方では 板の羽重ね形状に合わせて刻みが付けられているので「刻み桟」と呼ばれる。
関東地方でも刻みの入った押縁を見かけるが、少数派で「ささら子」と呼ばれ、この押縁を使った下見板貼り(すなわち、伊勢で言うところの「鎧囲い」)は「ささら子押縁下見貼り」と呼ばれている。
下見板貼りの出自はイギリス東南部ないしはスウェーデンあたりで、開拓時代のアメリカを経由して、文明開化時代の長崎、横浜、札幌にまず導入され、やがて全国津々浦々に普及したとのこと。
厚七ミリ程度の薄さに大量の杉板を加工する作業を木挽(こびき)に頼るわけにはゆかず、やはり明治以降の動力の普及は必須条件だったと推察される。